修兵は切り落としたばかりの左腕を差し出した。わたしはそれを両手で受け取った。
 まだ、はっきりと温かく、しかし血液が流出するせいか、正しい状態の時ほどは、皮膚に張りがない。

 腕という物体の受け渡し。これは、たったそれだけの行為だというのに神聖で俗悪で、わたしはそういうことをする修兵のことを心底いとおしいと思う。
 彼は収支無言だったが彼が何を望むのかは簡単にわかった。
 呼吸が、体温が、すべてがひとつを語るからだ。

 修兵はいつもそうやって何かを望む。欲しがる。わたしはそれを与えようとする。たったひとつ、ひとつだけ。彼がしあわせになるなら、わたしは何だってしてしまえる。
 歯を押し当てた皮膚は柔らかく、噛み裂いた肉は涙の塩辛さと唾液の甘さをまぜたような、修兵の味がする。わたしは何度も何度も修兵を咀嚼し、飲み込み、そのたびにこみあげる愛しさと嫌悪を、見開いた両目から流した。
 わたしは修兵を食べている。
 腕はわたしの血肉となり体を構成し溶け合い混ざり…。

   彼はずっと眺めていた。

 自分の腕が消えていくのを、どこまでも冷静に、そしてこのうえなく嬉しそうなまなざしで、わたしが食べ終わるまでの一連を見ていた。
 薬指の爪を舐めたとき、ようやく、一言だけを発する。
 

「お前が、俺になったんだ」
 

 

 その音を聞き取ってわたしは、ああよかったと、これでよかったと--------。

 

 

「修兵」
 呼びかけると以外にあっけなく彼は振り向いた。
「寝てたんじゃねーのか」
「起きちゃった。…それ貰っていいかな、お茶」
「どうぞ勝手に」
 書類を次々に片付けながら答える。「捺印だけしといて」と紙束を放り投げる。
「とりあえず、おまえ起きたんなら寝るわ、俺」
「あのさ」
「ん?」
「傲慢な夢を見たよ」
 修兵は困ったように唇をゆがめた。苦笑、には少し足りない表情をする。
「何だそれ、凄ェ微妙なの」
「修兵のこと食べてた」
「欲求不満?」
「いや、そういう意味じゃなくて、腕をね、差し出されて、こう、消化しようと」
 消化。
 そう、あれは消化しようとしていたのだ。
 消し去ること、自分の一部として作り変えること、吸収すること。そうやって飲み込んでしまったら、修兵は修兵ではなくわたしになる。
「で、俺の腕、食ったのか」
 面白がるように修兵は言う。
 食べたよ、とわたしは頷く。
「骨も爪も残さないで食べた。修兵の味がする、って」
 しばらく自分の腕を凝視した後で、修兵は渋面をこちらにむけた。
「やっぱ欲求不満だって、おまえ」
「そうかな」
「こんなもん食ってもうまくねえよ」
「試そうか?」
「今はやめろ。眠い」

 ごそごそと、仮眠用の布団を敷いて、修兵が横になる。
 膝元のほうから「いつでもいいけど」と呟くのが聞こえた。

「けど?」
「もしも食うなら、ちゃんと全部食えよ」
「…全部」
「腕だけじゃ中途半端だろ。目も足も、残すなよ」
 足元から這い登ってくる視線は真摯で、夢の中の、あの、たったひとつを切望するまなざしに、ぴたりと重なった。
「完全に同化したら、それって、つまりお前が俺の腕や体になるってことだよな?」
 くすくすと笑いながら修兵は目を閉じる。
「おやすみ、俺の」
 

 その言葉を聞きながらわたしは泣きたいような幸福感に襲われる。
 ああ、夢が夢が-------。

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