自分で言うのもなんだが俺は一軍四番スラッガーでいわゆる期待の新人だ。
 朝練というものがあるために登校時間は早く、期待の分だけ下校時間は遅い。
 は「あの」花札研究部のひとりだ。
 存在がなかば伝説になるほどの極小部だから下校時間はきわめて早く、たいていの部員は重役出勤。
 そんなわけで一日のサイクルから違うはずなのだが、どうしてだか屋上に避難(授業がいやだとかウザイのが近くにいるとか)するタイミングだけぴたりと合ってしまう。
 相性の良し悪しはともかく、一緒にいて気疲れしないのと、それは同じ理由なんだろう。
「札研って何すんの?」
 給水タンクの陰でうつぶせに寝転がるは、何っていわれても、と語尾を濁した。風が吹いたら制服めくれんじゃねえのと心配になる。心配。この俺が!
 口の中のカタマリがいいかげんゴム風味になってきた。座ったままでポケットをさぐるとストロベリーフレーバーがまだ残っている。残り2個。放課後までの時間を考えたらコンビニが恋しくてしょうがない。
 はあいかわらずヒマそうな顔で俺を見上げる。
「入部希望?」
「しねーよ」
「ええー残念だなあ」
 ぜんぜん残念そうじゃない様子は見ないことにしてガムを吐き捨てる。
「不法投棄は市の条例により処罰の対象となります」
「口止め料」
 貴重品の1個を投げると、ばね仕掛けみたいに腕が伸びてキャッチした。
 銀紙ごと匂いをかいでおかしそうに笑う。
「なに御柳ってイチゴ味なの」
「いらねーなら返していただけますー?」
「うそうそ。ちょうど口寂しかったところ。あーでも、あー、ヒマだしなー」
 起き上がって、ガムを右手でつまんだまま、は俺の顔を見てはっきりと笑った。
 左手にプラスチックの黒い長方形、105円のプラスチック花札。
「じゃあ御柳が勝ったらガム返すよ」
、俺に勝てるわけねーじゃん?」
「御柳、まさか勝てるとでも思ってる?」
 一発勝負でこいこいやろう、親は御柳でいいから。そう言っては札を配った。
 開始してまもなく四光が来た。対するはといえば、短冊4枚の役なし。ここで俺がこいこいで待って雨を揃えれば五光で圧勝、が赤か青の短冊を取ったら負け。
 今、勝負をかければ文句なしに俺の勝ちだ。
「こいこい」
「御柳」
 呆れたようにが手札から視線を上げた。
「ごちゃごちゃ言うな」
 最後の1個の銀紙を剥いで口に入れた。甘いにおいが弾ける。
 開始前、わざわざ有利な親を譲られたことへの意趣返しだ。言わなくてもわかっているのか、はそれ以上の言及はせずに札を引いた。ちらりと手札と見比べて肩をすくめる。
「ああ、赤短」
 札をまとめようとしたら手首を掴まれた。
「ところでうちの部にはルールがあってね」
「あ?」
「札勝負をやる時、相手が誰であろうと勝ちを譲られることがあっちゃいけないの。わかる?」
「結論から言え」
「つまり、さっきの御柳のこいこいは、札研的に、わたしの負けなんです」
 掴んだ手首を裏返して、俺の手にガムをのせては苦笑する。
「まさか四光捨てるほどギャンブラーだとは思わなかった」 
「おい」
「何」
 わりと至近距離にあった手を掴む。細い、と思った。ほぼ同時に、やばい、とも。
「俺がそのルール飲むなんて一言も言ってねぇけど?」
 ああ、やばい。
 止まらない。 
 
 唇が離れると急にそこだけ冷える気がした。
 
 はといえば、溢れた唾液で濡れた襟を、困ったように指でおさえている。
「これは、どうしろと?」
「二人とも勝った。賞品も獲った。いいんじゃねーの、引き分けってことで」
「手を打ちますか」
 はあたりまえのようにガムをしまった。
「食わねーのかよ」
 まあね、と視線をそらして声を低くする。
「せっかくだから、御柳禁断症状対策に残しとく」
「じゃーしっかり覚えとけよ、イチゴ味」
 冷えた唇はまたすぐ溶けてしまって、甘いにおいが熱を高めた。

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