こんなときだというのに瞼の裏にひらめくのは別人の背中だ。 なにか手酷い裏切りをしているような気がして、結局は目を開けることができない。 大きなてのひらに包まれた胸、走る線は古い傷痕だ。 けして見目良いものではないのにヨザックはまるでそんなものなど無いように口づける。数センチ下にある傷痕はまだ新しい。ひきつれたそれが、正当な治療を途中放棄したことなどわかるだろうに、何も見えないふりをする。 この体に触れる手はきちんと血が通っていてあたたかい。 「怖いか」 あまり珍しい口調に笑いそうになって、…いや、いっそそうすればよかったのだ。笑う勇気さえなくて、ただ目を開けて、そのやさしい声にすがりつく。最低な行為だと頭のどこかで誰かが哂う。 「…どうすれば」 続ける言葉がない唇をヨザックがふさぐ。その行為はどこまでもやさしい。 泣きたい。 ひとのやさしさを利用する自分にも、そういう自分をこんなに丁寧にあつかう彼にも、かなしくなる。 どうすれば。 アルノルドへと赴いたのは国家のためではない。それだけは断言できる。 まさか生き残れるとは思っていなかったし、負け戦になるだろうと半ば以上予想しての選択だった。理由をひとに問われれば、仲間を見殺しに出来なかったからと、答える準備はいつでもしてある。心は違うところにあった。 あの日、最前線を走りながら、コンラートのためになるなら死さえも本望だと思っていた。 今なら間違いだといえることも、あのときは何より強固な真実だった。それがアルノルドを生き延びた魔法の正体だ。生きたかったのではない。あのひとより先には死ねなかったのだ。だから斬った。 刃が曇らぬように。苦しまないように。痛まないように。 すべては、たったひとりのために振るわれた剣だったのだ。 囲まれているのはわかっていた。戦況が厳しいこともわかっていた。誰も踏み込めない場所というのがある。あのときのコンラートの周囲がまさにそれだった。それでも飛び込めばきっと、刃先は届かなかったのだ。 間に合わなかった。 肋骨の上を裂いた剣は勢いをとどめず馬上のコンラートを凪いだ。 敵の血に汚れた顔が、苦痛に歪んだのを、は覚えている。 覚えている限り、この程度ですんだ傷を責めてしまう。どうにもならないとわかっていても。 「?」 やさしい声がまた、傷を撫でる。 もしも彼のこのやさしい手が愛情だというなら、自分が抱えたものはけして恋ではない。醜すぎて。 「ねえヨザック、どうすれば」 癒えないのは拒んでいるからだ。誰のせいでもない。自分がそう望むからだ。 自覚しながらヨザックの背に腕を回す。 裏切りだ。 傷にも、彼にも、あのひとにも、過去にも。 これはなにもかもに対する裏切りだ。 「どうすれば忘れられるの」 |