戦場で目を覚まさなければ、五体を取りまくあらゆる感触から切り離されていただろうし、当然ここに今存在するものもなかった。存在できる事実をよろこぶべきである。生存はいちばん確固たる幸せだ。証明として積み上げられた記憶は、だから、その足場というべきである。
 死地というのはそういうことを本能的に学ばせる。  あたたかい水流に目を閉じながら、はぼんやりと意識を拡張していく。一日を振り返るのと同じだけの億劫さで、半月間を早回しになぞってゆく。そうすることで不安定に摘んでしまった足場をもういちど組みなおそうとする。
 何度、繰り返しても同じことだ。この砂は驚くほどさらさらと水に流れてしまう。
 シャワーを止めると周囲はおどろくほど静かだった。
 排水溝に滴る音がやがて途絶え、濡れたからだが冷える。
「ヨザック」
 ドア一枚隔てた向こうにいるはずの人物の名を呼ぶ。答えはない。
 背中を流れ落ちる水滴とおなじように見えなくても存在することはわかる。
 
 
「どうすればいい」
 
 
 ベッドの上で聞いたのと同様に、がなげかけたのは疑問ではなかった。
 そうすることが出来ないのを、あらためて確認する響きだった。  曇りガラスの向こう、バスタオルはここに投げ捨てているからおそらく全裸で立ち尽くしているであろう女を想像するのは、あまりたのしい行為ではなかった。
 いくら男女の行為の後とはいっても、さすがに入っていくのはためわれて、悩んだあげくヨザックは一応の台詞だけ投げることにする。かたちばかりの好意というが、まったく中身の伴わない声で。
「風邪ひくぞ」
「まったくだ」
 斬り返す素早さで返事がかえる。
 不可視の距離をあらわすようで、浴室の外、ヨザックはまた溜息をつく。つくしかない。
 

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