She has been left. It lives.
彼女は生に取り残された

 わたしのことを、さん、と呼ぶひとはたくさんいるし、たとえばポイントカードの裏の記名欄に書いてあるのもという名前なのだけれど、でも、の家にという人間はもういない。この2年間いちども会うことのなかった両親という三次元、そして戸籍という二次元の話だ。
  では、そのわたしが今現在どこにいるかというと、この橋の見えるアパートの2階の右から3番目の部屋の台所。役場にいけばきっと志波という苗字の女がいるだろう。
 今はいない。
 実在していたのはたったの一週間。
 今は、戸籍、という虚構にだけ、まぼろしがある。
 原形をとどめない車のシート、あるいは集中治療室のライトの下に、わたしはその女を置きざりにしてしまった。そこにいるのは彼女だけではない。志波海燕という名の男と、…。
 喉が渇いていたのを思い出す。ぐらりと、眩暈を覚えつつ立ち上がる。
「かいえん」
 呼んでみると、あきれるほどに何事も無く、笑ってしまった。
 死んだものは何も出来ない。よみがえることも、水道の蛇口をひねることも。
 いつまでも座り込んではいられないのだ。つめたい水をさしだしてくれる手はもう無いのだし、それならば、コップを満たすのは自分でなければならない。
 ふと振り返ると、花瓶にさしたひまわりがしおれていた。
 なんだか無性にかなしくなって、ごめんね、と呟いた。
 涙はもう出なかった。
  

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