Insanity infected through heat

狂ってしまいそうなのは暑さのせいだ

 海に行こうと誘ったら、うんありがとうそのうちね、とかわされた。それは、もしかして、自分がウザがられたりしてるってことだったりするんじゃないのか云々。
 ちらり、腕時計を盗み見る。PM3時24分。
 放っておくと際限のないような繰言にはもう12分前から聞き飽きていて、1分後には準備室に行かなければならない。あーあー18分がもったいない。モノにできないような女なんてどうだっていいじゃん、おれ関係ねえもん。
 さすがに口にするのは躊躇われるので、「ああ」と「うん」と「まじで?」と「そうだよな」をずっと繰り返しているのだが、どうやら相手はループに気がついていないようだ。
「…でも俺、あのひとのこと、マジで好きなんすよ」
 と、がちゃり、とドアノブの動く音に恋次が言葉を切った。
「あ、檜佐木さん発見!浮竹先生、呼んでましたよ」
「おう、今行く」
 いつのまにか重みを増していた空気を、高くあかるい声が払拭した。雛森の姿に内心ほっとしながら修兵は立ち上がる。うつむいていた恋次が顔を上げた。
「先輩」
「悪い、後で、な?」
「や、いいッスよ。…聞いてもらって俺もちょっと整理ついたし。ありがとうございました」
 こう悪意なく言われると、ついでに軽く頭なんかをさげられると、適当に聞いていた自分がほんとうにうしろめたくて、逃げるように引き戸をしめた。
 外で待っていた雛森を見下ろす。
「浮竹さん、何か言ってたか?」
「あ、次の制作のモデル依頼みたいですよ」
 足が止まった。
「なんだか、他の人にも依頼するとか呟いてましたけど。…檜佐木さん?」
「絵の…」
 桃が、不思議そうに首を傾げた。
「あたし、よくわかりませんけど…モデルって、ただじっとしているんじゃ、ないんですか?」
 前の依頼を思い出してみる。背中が欲しい、といわれたのが、最初だった。それから目、指、足。隠さなかったり晒したり。そうして、この一年、依頼を受けたことは無い。誰からも。
 あれは。 
 あれは、そう、何か----憑かれる。
 浮竹が、ではない。浮竹の目は画家として絵を写し取ることのみに専念している。生物にも静物にもひとしく同じだけのものを要求する。だから、それを返すことだけ考えていればいい。
 去年の夏に自分を被写体にしたひとは、そんな生温さなど切り捨てるような気迫があった。
 そうしてそれに応えることだけでしか、もう自分はおそらく存在していけないだろうと思った。あの夏。去年の。30℃をゆうに越えていたくそ暑い部屋と、視線、役立たずの扇風機、蝉の声。

 ----きれいだろ。

 壁に無造作にはりつけられた写真を見ていたら、苛立っているような悲しんでいるような、しかしそれでも確かに笑いの混じった声が、きこえた。

 -----なんで俺がこんなことやってるかって、言ってなかったよな、そういや。

     綺麗だろ。

     それ以上のものを創り出さなきゃ狂いそうだからだよ。

 女がひとり、うつっていた
 真っ白な着物姿で、赤い帯は解けかけていて、背筋だけぴんと伸ばして座った後姿。ふと視線をどこか障子の外に向けて、横顔は不思議な緊張感をたたえている。無表情だ。人形のように。
 モデルになっている女の容姿はたしかに綺麗だったが、べつにとりたててどうということのないインスタント写真だった、と思う。しかし彼は「それ以上」にこだわっていた。
 …創り出すために協力は惜しまないと約束したのだ。
 描きかけのキャンバスは一週間後に郵送されてきて、ほんとうは捨てるつもりだったのだけれど、ダンボールを破いたとたんに、あの暑さとか遠い喧騒とか静まりかえる部屋の、あらゆる空気がふきだしてきて、そして彼がいないことに気がつかされた。葬式にさえ参列しなかったというのに、なぜだろう、その瞬間に彼の、志波海燕の死にむりやり向き合われてしまった。
 捨てられないキャンバスを思い出す。
 終わらせることのできなかった依頼を、思い出す。
(まだ憑いてるんですか、俺に)
 断るつもりで開けた準備室の奥、椅子に座った人物を見る。浮竹、そして、隣に?
 いるはずのない、----写真の女が。
 どうして。
「こんにちは」
 人形がくちびるを動かす。清潔な声だった。
 ああ。
 あの夏が、また、ダンボールからふきだしてくる。

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