棺のふたがしまる。
待って。
閉めないでだってそのなかには彼がいるのに昨日まで生きていたんです昨日まで普通に笑って食べて眠っていたの普通にあたりまえに生きている人間なの蓋を閉めたらだってどこにいくの火葬って何どうして生きていたのにどうして待ってくれないのねえ
「あたしを、置いて、逝くなッ!」
そこまでリアルに夢を見ても、遺体を、わたしは見ていない。
わたしが目を覚ましたのは事故から一週間が過ぎた日だった。集中治療室のベッドの上で、目が溶けそうだと思った。ひかりはまぶしかった。体を自分のものだと認識できていなかったのかもしれない。ひどく不快だったが、痛み、という概念はなかった。
まっさきに駆けつけたのは空鶴だった。わたしより年上の義妹。
「海燕は?」
弁解するようだが他意はまったくなかった。
言葉は彼がここにいないことの理由を、もとめただけだった。またどこか旅に出ちゃったの、それとも買いものでも、と、そんな気軽さで。
「兄貴、は、」
一言を発したきり空鶴は黙した。
それが沈黙ではなく絶句で、ましてわたしがもとめたものが、彼女にどれほどの苦痛をあたえるものであったのか。知ったのは後になってからだったけれど、わたしはそれ以上何も言えなかった。言う資格など無い、と感じていた。わけもなく。
空鶴はしばらく黙り込んだあとに、紙袋の中から両手でかかえるほどの木箱を取り出して、慎重な手付きで窓際においた。カーテンごしに西日がさしていた。
「…に」
「わたしに?」
あけてもいい、と尋ねると、空鶴は無言のままでうつむいた。肯定と受け取って手を伸ばす。日の光で、木箱はほのかにぬくもっていた。蓋を固定する紐をほどいて覗き込むと、ぬめるような釉薬のほどこされた、ありふれた壺があった。さらにその蓋を取ろうとしたら、横合いから伸びた手が腕を掴んだ。
空鶴だった。
「あけちゃだめだ」
「どうしたの、ねえ、空鶴?」
「だめだ。開けるな。俺にそれを見せるな。…頼むから、、開けないでくれ」
少し泣いた後、気丈に笑った空鶴は、木箱を残して帰っていった。
何の説明も無いまま置かれた箱を、開けようという気は、何故だかまったくおきなかった。そんなことより空鶴が涙したことのほうによほど衝撃をうけていたし、それにたかだか陶器をひとつ、手渡されただけで何がわかるのだろう。何をわかれというのだろう。
翌日、ベッドサイドを見た看護婦は、ご愁傷様です、お辛いでしょうけれども、と言った。
それでようやく理解した。
夏の盛りだったし、遺体の損傷はひどかったから、火葬を先延ばしにするわけにはいかなかった。空鶴と岩鷲が、たったふたりの遺族として、葬儀社との話し合いや弔問客への対応をしたのだそうだ。
すべて終わってから聞かされた話には現実味が無かった。
それなのに、香典返しに添えられたはがきには、喪主としてわたしの名前が明記されている。---謹啓、この度は亡夫・海燕の葬儀告別式に御会葬を賜りまして誠に…。知りもしないことだ。枕元の骨壷は結局開けることのできないまま、納骨の日を迎えた。病院の、ベッドの上で。
だから、わたしは葬送の儀式にはまったく関わっていない。
だけど、なぜだか見てしまう。
白木の棺に縋りつき、叫ぶ夢を。
周りの人たちがつぎつぎと棺に花を入れる。海燕を、埋めようとする。わたしはそれを拒む。誰かが棺のふたをしめる。釘を取り出す。金槌で打つ。耳を塞ぎたいのに。
やがてわたしに石が手渡され、釘を打て、と声がする。
そんなものは放り出して、棺の中から海燕を出してあげたいのに、大勢の手が許さない。その場から逃げることさえも。わたしは無力だ。
打て。打て。蓋を閉めろ。
おまえがやらなくちゃ意味が無い、と誰かが言う。
わたしは強く首を振り、目を閉じて----。
「海燕ッ」
ああ、こんなに怯えてもあのひとがいない。
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