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まったく大きな猫を拾ってしまったものだ。どうみても可愛らしいサイズではないのだが、これを放っておいたらちょっと、いやかなり、翌日の朝が不愉快になりそうな気がしたのだ。部屋に連れ込んだまではいいいけれど、転がしたあとの処置に困って見下ろす。 右腹部、出血。 左大腿部、銃痕。 死んでるの、と呟くと転がっていた物体が身動ぎした。死んではいなかった。 「死体拾うってどういう趣味」 「…貧乏性で」 落ちているからつい、拾ってしまった。 だってあそこで濡れたままじゃあ、明日の朝には死体置き場に放り込まれているんじゃあ、あんまりにももったいない。 馬鹿でかい猫は厭そうな顔で息を吐き、ついでだから手当てしてくんない、と睨んだ。 拾ったことをちょっとだけ後悔した。 |
1th |
ざあざあと音がする。 シャワーの水流かと思ったら、窓の外が豪雨だった。 寝ぼけた思考をふりはらってみると、そういえばこの貧乏アパートにはシャワーどころか浴槽さえ備えられていないのだ。昨日の夜、台所で行水した記憶に溜息が出た。 「おはよう。ろくでもない夢のご感想は」 「なんでおまえが俺の夢について推察できんだよ」 「寝顔が最高に悪かったもので、つい見入ってしまいました」 朝イチで冗談とも付かずそんなことを口走る女の存在そのものが悪夢だと思う。 かといって昨夜起きたことを素直に現実と肯定してしまうのも憂鬱だった。 「誰かに裏切られてポイされました?」 「…てめ…人が思い出したくねえネタをあっさりと…」 「よくある話ですから。あ、朝御飯ないですけどあきらめてくださいね。貧乏なので」 どうしてこんなに生活感があふれているんだろう。 あさごはんのことなんて、ここしばらく、考えたことがなかった。 貧乏だとかシャワーがないとか、だけどそういえば、ここ数日間の自分の生活レベルに比べればずっと良いほうなのだ、これは。少なくともここはゴミ溜めじゃないし、雨の音は激しいけれど、濡れて寒い思いをしているわけでもない。 裏切りをよくある話と言い切った女は、ぼんやりと窓際でひざを抱えている。 うしろから、服を強引にぬがせたら、ただ諦めたような醒めた視線が返ってくるばかりだった。苛立ちが腹の底に凝る。耳に直接吹き込むように言う。 「名前よこせよ」 女は、たしかに唇をうごかした。 だけど雨の音ばかり耳について、尋ねたはずの名前は、するりと耳をすりぬけていった。 「…あなたの名前、は…?」 「さあ?」 |
2th |
もしかしたらお金がもらえるかもしれない、ということに気がつき始めた。 だいたい、いくら場末のアパートだからといって、そうそう顔に傷のあるような半死体が転がっているわけがない。出すべきところに引き渡せば報奨金がもらえる。渡し先の危険性によって金額も代わるけれど。 幸か不幸か、ここの住人達は、存在感すらあやふやなほど互いのテリトリーに無関心だ。捜索されている気配がない以上、今の時点で通報した者はいないのだろう。先のことはわからない。先手を打つなら迷う暇はないのだが。 「ねえ名前教えてくれないんですか?」 「不自由ねえだろ」 「一方的に知られている状態が厭なだけです」 それ以上のことは何もない。 だから通報しない。 この男の口から、ただそれだけ聞くまでは、引き渡したくない。 「…きいたっけ」 「言いました」 男はちらりとこちらを見ると、おだやかな仕草で肩をすくめ、それからまた窓の外を見た。 「この雨だから、どっかの排水溝に流されたかもな」 「傷から流出して?」 「そうそう」 ならんで窓の外を見てみる。生温くしめった暗闇の、いつもどおりの景色だ。 見下ろす先にはもう何も転がっていないから隣にいる人の腕に触れた。 |
It will rainy |
互いの名前をいまだに知らない。 雨はあいかわらず降り続いている。 |